こんにちは。エムートの武部です

秋から冬になり、春が訪れやがて夏が来ます。新型コロナウィルス騒動の中、自然界は今も昔も変わらず時と共に移り変わっていきます。私も日々体力作りに精を出しています。

私は3月の啓蟄(けいちつ)(3月6日頃)の桜の状態と、桜が咲く3月中旬から下旬にかけての蕾がふっくらとしてくる桜の木の枝を見るのが好きです。ふっくらとした蕾がこれからどんな花を咲かせ、美しい花を見せてくれて楽しませてくれるのかを想像すると春の躍動を感じます。

咲き終わった後の若葉の木も(清々しい)鮮やかな緑が春めきの色彩を楽しませてくれます。これからどんな花と色を見せてくれるのかと思うとワクワクしてきます。とても楽しみですね。


皆様、緊急事態宣言やら何やらと世間も騒がしく、又身の危険を感じる今日この頃ですがいかがお過ごしでしょうか。私も日々三密には注意しながら過ごしています。このウィルスはインフルエンザウィルスと同様に加湿
と換気が必要ですね。少し湿度が高い方が人間の身体によく環境にもよいですね。

 

自然に調湿してくれる家造りはやはりよいですね。具体的にどういうものなのかといえば、昔ながらの土壁と自然素材を使った壁や無垢の木を使った家。生きている間は五体が健康である様に過ごしたいです。

昔からよく言われている言葉に、「親になって見ないと親の気持ちが解らない」とか「それぞれの立場にならないと理解できない」というものがあります。その解決方法として相手がどう思うかとか、相手の心情を考える習慣をつけることが大切です。

 

男は女にはなれません。夫婦でも夫は妻になれません。ですが同じ人間としてある程度何を思うか、どうしたら喜ぶかを理解する様にすると楽しい生活を過ごせると思います。

親の立場も同じ、親が子を思う心、子が親を慕う心を感じると親はこの上なく嬉しく、子供の為なら全てを捧げるでしょう。又夫婦でも妻が夫を慕い楽しい生活が多いと、そのことに比例して家庭は繁栄し、喜び楽しい生活を過ごすことが多くなり、世間で言う良い気が家に運ばれて、運気が上昇することでしょう。

根本は人間同士の感情の使い方ということになります。失敗したり、大切なものを無くしたりするとよく理解できますが、本当はそれまでに解り、良い方向に進まないと、学習能力のある人間としてはダメですね。今日一日学習して生かす様にしたいですね。特別な事ではないですが何気ない会話をする、言葉遣いと会話が大切です。

 

全て満点とはいきませんが、言葉を交わすことを心掛けたいと思ってます。何気ない「ありがとう」という言葉はよいと思います。むずかしい漢字と
か、ヨコ文字ではない、簡易な言葉遣いで言葉を使う事が大切ですね。

■コロナウィルス(ヒト)に対する不活化効果の確認

ヒト・コロナウィルス(HCOV-229E)を無添加住宅オリジナルしっくいに付着させると「5分間でコロナウィルスを100%不活化(死滅)する」事がバイオメディカルサイエンス研究会の試験結果で明らかになりました。

新型コロナウィルスがプラスチックやステンレスに付着した場合、生存期間は3日以上と言われています。今回の不活化試験は新型コロナウィルス
ではなく、遺伝子情報が90%以上同じ既存のヒト・コロナウィルス(HCOV-229E)で行っています。

しっくいの主成分である消石灰は強いアルカリ性の水酸化カルミウム(Ca(OH)2)です。オリジナルしっくいの表面に付着したヒト・コロナウィルスは死滅しますが、しっくいの部屋の中でコロナウィルスに感染しないということではありません。結露について詳しく知っておきましょう。

■危ない添加物から身を守る知恵

【米】

●産地、品種、産年、混入割合などの表示をよく見て、新しいものを買う。夏は二週間、冬は二ヶ月くらいで食べる。
●一時間ほど水につけてから水を捨て、新たに水を加えて炊く。氷を入れるとよりおいしくなる。

【肉】

●牛肉は輸入牛より和牛、豚は脂肪の少ない赤身、鶏肉は銘柄表示のあるものを選ぶ。
●脂肪部分に残留農薬が多いので挽肉も赤身の多いものを選ぶ。
●調理前下ゆでし、アクを抄う。
●下味の調味料は一度取り替えるとよい。

【野菜・果物】

●あまりにも鮮やかなものは避け、無添加、無漂白、低農薬、有機栽培などの表示を選ぶ。

●酢は浸透が早いので農薬を一度酢に溶かし流したのち、酢の物などにする。


【卵】

●冷蔵庫の清潔を心がけ、古い卵は食べない。
●食物繊維は不安物質を吸着し排出するので、食物繊維の多い食材で料理を作る。

【魚】

●養殖や近海のものばかり買わず、イワシやサンマなどの回遊魚を買う。タラコは無着色を選ぶ。
●下拵えで一度水煮しゆでこぼしてから料理する。
●酢によって汚染物質が流されるので酢洗いをする。
●アジのたたきサバは一度冷凍すると寄生虫が死ぬ。

【その他】

■クロスの貼り替えで楽しい部屋創り

きっと気分も変わります!!

 

子供部屋の天井に
暗くなると
星がキラキラ光る
夜空

 

 

壁は可愛らしい
スヌーピーの絵が
入ったクロスで
楽しさを演出


気分が変われば部屋にいるのが楽しくなります

■渋谷のハチ公

大正時代、渋谷駅に近い町に、上野英二郎という東京帝大の教授が住んでおり、大きな秋田犬を飼っていた。博士を毎日駅まで送り迎えするのが、
ハチの日課であった。大正九年五月二十一日、博士は学校で急死したが、それがわからないハチは毎日駅へ来て、博士の帰りを待っていた。
この事が昭和七年十月連合新聞の細井記者によって記事にされ、全国の新聞に掲載された。ハチはたちまち日本中の人気者になり忠犬ハチ公は修身
の教科書にのる事となった。題は『恩を忘れるな』。

そして帝展の審査員である安藤照氏がハチをモデルに彫刻を創り、さらに彫刻をモデルにして、町の人達の手で銅像が渋谷駅前に建てられる事となった。こうして昭和九年四月十一日ハチ公の銅像だったが、自分の銅像の除幕式に参列している。この成り行きに驚いたのは細井記者である。『忠犬ハチ公』の物語は大部分が彼の創作だったからだ。

ある夜、駅近くの屋台で一杯やっていると、犬が来てしきりに尾を振る。焼き鳥をやるとおいしそうに食べた。焼き鳥屋の亭主が言うには、「この
犬はハチといって、帝大の先生が飼ってたんだけど、七年前に先生が死んじゃってさ、それきり家には帰らずで、今じゃ駅の駅員に残飯もらったり、屋台で食物もらったりしてるよ」
記者はこれを「町で拾ったいい話」として、ちょっと脚色して美談にした。この記事が、野良犬同然のハチ公を日本一の忠犬にしてしまうなどとは夢にも思わなかった。こうして『忠犬ハチ公』の物語はひとり歩きしていく。

ハチは昭和十年三月八日老衰で死んだ。現在もその姿は剥製になって、上野の国立博物館に残されている。銅像は戦時中、金属資源として徴収され、終戦前日の昭和二十年八月一四日、溶解されて機関車の一部になったという。

再びハチ公の銅像が建てられたのは昭和二三年(一九四八)の事である。平成六年一月二五日の讀賣新聞によると、ハチ公と思われる犬の鳴き声が入ったレコードが都内で見つかったという。

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